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加古川のくつした くつ下くん |
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●靴下の歴史 |
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兵庫県靴下工業組合 | ||||||||||||
兵庫県靴下工業組合は 昭和28年組合設立以降、靴下の3大産地の一つとして、業界をリードして来た。 「品質の兵庫」として、国内生産高シェア18%を確保している |
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加古川市の靴下製造の歴史 | ||||||||||||
100年以上の歴史を持つ加古川市の特産品 播磨地域での靴下製造業の発祥は、明治初年に印南郡志方町(現、加古川市志方町)の住民が、 上海から手廻しの靴下編立機を持ち帰り、製造を始めたことによるといわれています。 大正初期に半自動式編立機、さらに大正13年には自動編立機が輸入されるなど技術革新が進み、 大正12年の関東大震災による情勢変化などにより、播磨の産地規模は急速に拡大し、東南アジアや中国に も輸出されるようになりました。 また、ナイロンを始めとする合成繊維の開発により、設備の近代化、技術水準の高度化が進んでいます。 現在は、コンピューター編立機や特化した設備で特殊素材の使用へと移行しています。 東南アジアなどからの輸入が増え、国内の靴下は付加価値のある商品開発へ移行しています。 健康、スポーツ、ファッションなど特化した商品に移行している。 |
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日本の靴下の歴史 | ||||||||||||
日本製国産はいつごろ・日本で靴下が最初に使われたのはいつごろ 日本に誰が伝えたか詳しい資料は残されていないようですが、織田・豊臣時代(1576〜95年)に わが国に渡来した西欧人が手編の靴下を着用していたであろうといわれています。 水戸光国(1628〜1700年)の遺品である7足の靴下が日本で残っている靴下ではもっとも古いものでしょう。 この時代から手編みの靴下が作られたと思われます。 明治初期、伊藤博文らの「岩倉使節団」をアメリカ・ヨーロッパヘ派遣。 明治6年(1873)、その大使節団が帰国する際、イギリス製長くつ下編み機を購入して持ち帰っています。 このあたりから、編機による製造が始まったと思われます。 明治以後の西洋ファッションと、ともに和洋折衷の時代に靴を履くようになり靴下も履くようになり、 国産の靴下も製造されるようになったと思われます。 |
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製造者表示 | 所在地 | TEL | ||||
株式会社ミヤシタ | 兵庫県加古川市志方町岡137-5 | 079-452-4327 | ||||
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